熊野古道・中上健次・尾鷲


               熊野古道・中上健次・尾鷲

 紀州-木の国・根の国物語 中上健次選集3(小学館文庫)を買った。 何故買ったかというと、尾鷲の記載があったからだ。

「矢ノ川は自然に出来た境界線である。昭和34年、紀勢線が全面開通するまで、この峠は、峠(矢ノ川峠)としてあった。昭和十一年に開通した尾鷲・木ノ本間のバス以外には、この峠に交通はなかった。それまでは海沿いを行く八鬼山越えの道が主な交通路だった。八鬼山越えの道とは、熊野道とも呼ばれ、西国三十三か所に通じる遍路道でもあった。

 昭和三十四年まで新宮、木ノ本方面から尾鷲、伊勢に抜けようとする者は、 汽車で木ノ本まで行き、駅前からバスに乗って矢ノ川峠を越えて尾鷲駅に着き。 再び汽車に乗るか、峠のある陸路を避けて木ノ本(熊野市)から尾鷲まで巡航 船に乗るか、どちらかだった。」

 昭和34年の紀勢線開通の時、僕は9歳だったが、おぼろげながらその時の様子は覚えている。僕は尾鷲に中学3年まで住んでいたが、恥ずかしいことに八鬼山に登ったことがなかった。八鬼山は尾鷲節に出てくるし、また江戸時代、十返舎一九が、最近では黛まどかも、この山の熊野古道を歩いている。熊野古道が世界遺産に認定されてから、この地区も世間の注目を集めている。

尾鷲節:

 尾鷲よいとこ 朝日を受けて

 浦で五丈の網を曳く

 ままになるなら あの八鬼山を

 鍬でならして 通わせる

尾鷲市史、上巻、P844

「十返舎一九はその著書「金の草蛙」のなかで、尾鷲の町の出口に中井川と云ふあり、其より矢の川村過ぎて八鬼山なり、登り五十町、峠に日輪寺と云ふあり、茶屋あり。下り三十八町、山を下りて三木の宿、このところ入梅なり、 此宿より曽根へ渡船あり、陸路は至て難所なり、尾鷲より木本へ海上七里の渡 船あり、曽根の宿より曽根太郎坂、山中に茶屋あり、又曽根次郎坂と云ふあり。

 ふところの矢種つづかぬ長旅にいらぬせはをも八鬼山峠

中上健次の「紀州」には、昭和19年に東南海地震の大津波を経験した男性の話が出てくる。

「トガシのあたりで、彦一さんは自分の家の方を見た。そこから家の裏にある 常声寺の松の根元が見えた。「もうあかんな」と思った。」

 常声寺は僕の家の菩提寺である。今は若い住職さんだ。この住職さんは、福井の禅宗のお寺である心月寺で修行したそうだ。

http://www.city.owase.mie.jp/ (尾鷲市公式HP)

http://homepage3.nifty.com/hepburn/#(月刊ヘップバーン)

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(中上健次の妻は紀和鏡だが、彼女の作品には、『Aの霊異記』、『白の霊異記』(講談社)があるが、かなり昔に読んだことがあり、面白い作品だった。最近、“夢熊野”という本が出版されたが、値段が高いので購入していない)

 

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