宮崎学氏:「絶対権力者」「市民目線」はポピュリズム的表現の最たるもの!


宮崎学氏:「絶対権力者」「市民目線」はポピュリズム的表現の最たるもの!

 

小沢一郎氏に対する検察審査会の全会一致の議決には首をかしげる。新聞などの大マスコミは全会一致の議決に批判的な言葉を発するどころか、さらに小沢氏への攻撃を強めている。

 

宮崎学氏の下記のコメントに同感する。「絶対権力者」、「市民目線」ということに対して、適切な評価を行っている。

 

小沢氏は公開の政治倫理審査会で弁明し、インターネットでも見られるようにすべきである。マスコミは小沢氏の弁明を編集し、説明不足であると断定し、国民は納得しないであろうと強弁するであろう。一部の良心的な国民は小沢氏の弁明を理解できることを期待する。

 

http://miyazakimanabu.com/2010/05/03/723/

 

今週のポピュリズム〜「絶対権力者」と「市民目線」<その1>〜

2010-05-03 () 13:45今週のポピュリズム

平成22年4月27日に議決された小沢一郎民主党幹事長に対する東京第5検察審議会の決定は、類い稀なる「ポピュリズム」であった。

同審査会が発表した「議決の理由」の中には、次のように書かれている。

「絶対権力者(筆者注:小沢一郎氏のこと)である被疑者に無断でABC(筆者注:逮捕された元秘書等の関係者)らが本件のような資金の流れの隠蔽工作等をする必要も理由もない。」

さらに「近時、『政治家とカネ』にまつわる政治不信が高まっている状況下にあり、市民目線からは許し難い。」

この「絶対権力者」、「市民目線」という二つの言葉を私はポピュリズム的表現の最たるものと考える。

そもそも、検察審査会なる制度は、時によっては、その対象となる人物の自由を束縛する可能性を持つ決定を行うことのある制度である。

個人の自由を制限する決定を行う際は、当然のことながら、予断や偏見を極限まで排除すること、感情に流されないことが原則となる。そうでなければ、リンチを容認するのと等しい制度となるからである。

さて、中世のヨーロッパでもあるまいに「絶対権力者」というような時代錯誤のレッテルを貼ったり、「市民目線」というポピュリズムむき出しの表現によって示される「世間」への迎合を「自白」するような空疎な内実がこの議決である。そしてそれがこの社会を動かそうとしている。

ところで「市民目線」が貫徹した社会とは一体どのような社会なのだろうか。それは個性が徹底的に排除されたデオドラントで無機質な社会のことである。ところがこの自明の理とも言える今回の「議決」に見られる「言葉」の羅列を批判することもなく容認する空気がある。

この国と社会は実にくだらないものとなった。

 

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